[自作小説]彼岸にて5

小説

カラスがどこかで鳴いた.
「おじいさんにとって人生とは何ですか」
僕はわずかな逡巡を経て言葉を発した.こんなことを聞いても驚かれないような気がして.
「…君より何十年も長生きしているが,私もまだ答えを出せちゃいないんだ…すまないね.」
眼前の滝は絶えず流れつづけている.
「私たちは何のために生きているのだろうね.旧友も今となっちゃ大半が死んでしまった.どれだけ愛しても,いつかは死別がおとずれる.私は愛する人が少なかったせいか,ひとりひとりの別れが全て心に穿たれたよ.慣れることなんてできなかった.」
「僕は愛する人がいません」
「私も小さい頃は特殊な子でね,誰も寄ってこなかった.ひどく怖がりでね,それでいて自分の正義に反することは徹底的に許せなかったんだ.小学生のころは1人や2人わがままな子がいるだろう.ときには掃除をさぼったり,またときには他人の物を奪ったり.当時の私は彼らをみて,ひどく苛ついていた.でも何か言ったら,僕は彼らに何かされるんじゃないか,クラスで浮いてしまうんじゃないかと恐れた.私は反撃を恐れたんだ.だからある時,いつも授業を台無しにする子が案の定,授業を妨害したとき,私は彼の後ろに気づかれないように忍び寄り,彼の後頭部を右掌で触れた瞬間,彼の前頭が机に衝突するように思い切り力を込めて右腕をかなずちを振り下ろすかのように動作された.どん,と音がした.クラスは静まり返り,遅れて,呻きに似た鳴き声が静寂を切り裂いた.今考えると当時の私は本当に馬鹿だった,許されないことをした.本気で彼の頭蓋骨を割り,殺そうとした.力が弱かったのが幸いして,大きく青ずんだたんこぶで済んだ.彼は保健室でしばらく休んだあと病院に行って大事には至っていないと診断された.」
彼は一息つき,続けた.
「当然だか,それから誰も私に近寄ろうとしなかった.中学でもうわさが広まり,異常者扱いを受けたよ.私は必死で自分を保とうとした.私はみんなが心地よい空間を作るために行動したんだ.私はみんなのためにやったんだ,って.それから自分の意思を貫くことが怖くなり,人を傷つけるのが怖くなり,踏み込んで人のセーフティゾーンに入るのが怖くなり,人そのものが怖くなった」

(つづく)

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